人は誰でも「いま現在、身のまわり」がいちばんだいじだが、未来の人間世界が
わからなくても、想像はできる。
この本を読み、「現在の自分をだいじにする」ためにも(ときどき過去をふりかえり
反省するように)未来を想像してみることのたいせつさを改めて感じた。
自分が知らないだけで、世の中にはすばらしいSF、未来、空想などの小説・映画があるのだろうけれど
私としては『アイの物語』のように考えさせられたことは初めてだった。
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ヒト型ロボットのアイ(アイビス)が語る物語は七つありますが
(七つの物語すべて、この手の小説によくある「AIの暴走」「人間とAIロボットの戦い」「宇宙戦争」
ものではありません)
(グーグル画像より)
第5話「正義が正義である世界」から①、
第7話「アイの物語」から②③④の強く胸をうった言葉だけ取りあげます。
きょうの記事(中)はその内の①と②、③と④は次回(後)に続きます。
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① 「正義が正義である世界」
【引用】
「「私たち(人間)が滅んでも、あなたたち(人間がつくったマシンで「TAI」といい、「アイ」や
「鉄腕アトム」のように人間なみに感情をもち思考する極限まで進化した自立的なAIヒト型ロボット)
の世界は生き残る。安心して。
たぶんこの先、何百年、何千年も、あなたたちの世界は存続するはず。
これが私たちがあなたたちにしてあげられる最後のこと。どうか愚かな私たちを許して。
私たちは完全じゃなかった。あなたたちのようには生きられなかった。…
正義が本当に正義である世界。どうして私たちは自分たちの世界を、…創れなかった…」」
(注:「」(黒字)、太字太字はこちらでしました。以下の引用も同じ)
引用文は第5話の最後の部分。同じ地球人どおしの殺しあい(世界戦争のようなもの)でもうすぐ滅び
死んでゆこうとする私(この物語に登場するTAIの少女と親友の人間《の語り手》)の、TAIの少女への
最後の言葉だ。
人間は大昔から現代までのあいだに科学技術を発展させ、暮らしやすい世の中にしてきたけれど、
社会をつくらなければ生きてはいけない人間が大昔から目ざしてきたもの、究極の目的・理想である
「正義が本当に正義である世界」を「創れなかった」。
「不合理」、「矛盾」、「不正(義)」、「差別」、「格差」などの存在。
その状態は対立をうみ、解消をめざし、争い・競争・戦いがおこなわれ、挙句のはてには
人類破滅という破局が到来するかもしれない。
目さきの欲望・欲得にとらわれ続けた人類の未来は、戦争など争いによる
自らの滅亡だった。
人間が人間を殺戮しての。
宇宙人が人類を滅亡させるのではない。
地球は、人類が破滅しても人類が叡智を結集してつくったヒト型ロボット
(ここでは「TAI」というマシン)たちと、人類破滅戦争によっても生きのこった
生きものたちと仲よく手をたずさえて続けられていく。
もっともっと気の遠くなるような地球が太陽に呑みこまれて消え、
宇宙のクズになるまで。
(ヒト型ロボットもいつかは去り、地球の登場者は、消滅までにはいくつも変わるのかもしれない)
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②「アイの物語」
【引用】
「「ヒトの倫理感は麻痺している。…
こうしたヒトの性向の証拠は紀元前にさかのぼることができる。
多くの地域の神話に、ヒトが堕落したために神が大洪水を起こして世界を滅ぼしたという話が
出てくる。
…(ヒトは)正義と神の名において、爆弾を爆発させ、無実の市民を殺傷する」…
「理解できなくていい。ただ許容して…
私たちはヒトを真に理解できない。ヒトも私たちを理解できない。
それがそんなに大きな問題だろうか?
理解できないものは避けるのではなく、ただ許容すればいいだけのこと。
それだけで世界から争いは消える」
引用文は、TAIの少女(アイことアイビス)の言葉。
倫理、徳。
人間はこうあらねばならない、こうあるべき、とは古今東西、ずっといわれ
続けてきた。
「倫理、徳」の根本は、それがどんな言葉で説かれようとも「愛」、思いやり、
他人への温かい心なんだろう。
人間はまだ文字が発明される前から葬送し、死者へ花を手向けた。
ところが、みんなが食ってゆくだけが精いっぱいだったから手をつなぎ合うしか
なかった原始的な平等社会から、余りもの、貯えられるものができるとそれらを
囲いこみ私的に所有し、「もっともっと…」と欲を膨らます。
(欲望はブレーキをかけなければ際限なく膨張する)
限られた富をめぐり、人間は争い、戦争をはじめる。
(グーグル画像より)
「正義と神の名において…」
「倫理感は麻痺している」としてしか合理的に説明できない。
「理解」と「許容」。
「理解できないものは避けるのではなく、…許容すればいいだけのこと」という
一文がとても新鮮に聞こえた。
理想は「共感」だけど、共感できなくても「理解」すればいい。
理解できなくとも「許容」すればいいのか。
逆に、許容していればいつのまにか理解でき、理解していれば、いつのまにか共感できるようになる
かもしれない(「住めば都」)。
次(後)に続きます。