「格差社会」という現実が私は気になって仕方ない。
それを感じさせる事実をニュースなどで知ると憂鬱な気分になる。
気にしてもこだわっても、そういう現実がなくなるわけではない。
気にするほど不快、イヤな気分は高まる。
で、思ったり考えたりしないほうがいいので、個人的にはそういう現実は
知らないようにしている。
けれど、情報社会の日本では、情報のほうから追いかけてきて知らされる。
(この前、ご飯の用意をしていたら、テレビからニュースが聞こえてきた。
「東京の新築マンションの平均価格は○○○…」という。驚いた!
ここに書くに当たり、いまネットの「AIによる概要」で調べたら、
「東京のマンションの平均価格は新築・中古ともに上昇傾向…2025年上半期のデータでは、
東京23区の新築マンションの平均価格は約1億3,64万円、
中古マンション(築10年・70㎡)の平均価格は東京23区で約8,985万円
首都圏全体で見ると、新築マンションの平均価格は約7,820万円」
誰が住むんだろ?
先日、同じくテレビの『新日本風土記』という番組で、寅さんで有名な東京葛飾区《寅さんも
桜も満男も山田監督も大好きなので柴又へ行ったことあります》をやっていた。
葛飾区の風土の中心は川と水で、それにちなんだ住民たちの生活、風俗の放送だったが、
東京にもこんな地域があるんだと感慨深かった。
マンションも画面に映ったのだろうが、低かったためか、数が少なかったのか気にならなかった。
ひと口に「東京」といってもいろいろあることを強く感じた。
別なとき、夢を抱いて地方から上京した若者を描いたやはりテレビのドキュメンタリーで知ったが
庶民が一生かけても購入できなさそうなマンションの一方、東京でも昔からの古いアパートでは、
私の住んでいる関西の地方都市のアパートよりもずっと安い家賃のところもあるらしい)

ーーーーー
「見ようとしなければ「格差」は見えない」ということを
そのニュースを聞いて痛感した。
(前の記事で、『捨てられた紙と老人』というドキュメンタリー番組で、韓国の首都ソウルで
リヤカーを引いて廃品回収している老人の姿と、背景の高層マンション群との対比があまりに
不釣り合いなことを書いた。
番組概要の終わりに「時代に翻弄されながらも、人生の終盤を懸命に生きる人々を通し、
高齢化する韓国の今を見つめる」とあったけど、テレビ画面にリヤカーのおじいさんの背景に
高層マンション群が映っていたのは、番組制作予定にはなく、「格差社会」というオカシイ現実を
告発したいカメラマンの、現場の撮影で気づいた咄嗟の小さな抵抗だと感じた)
「格差」というもの、当人が気にしていないならそれでいいのでは…という見方、
考え方もあるけれど、本人、個人がどう思おうと、「格差」はれっきとしてある。
存在しているものでも、人は見ようとしなければ見えない。
(日常の風景でいつも見ているはずなのに、初めて気がつきギクッとする。
見ていても見えていないのだ)
ーーー
そして放っておくとその開きは、際限なく差は拡がるばかり。
別にカネ持ちになろうとは思わないし、富裕層の仲間入りに関心ないけれど、
「格差」の存在を容認し、際限のない欲望を許す社会は、いつか、欲望をめぐって
争い、つまり戦争を起こすかもしれない。
(「別にカネ持ちになろうとは思わないし、…関心な」くても)そのときは個人個人は、
それに巻きこまれるだろう。
気がつけば、「地球破れて、宇宙あり」か。
「人類絶滅」というのは何も人が人を傷つけあう「戦争」という形だけではなく、
傷めつけ過ぎ、取り返しのつかなくなったた自然、地球の「しっぺ返し」もある。
現在の行き過ぎた「格差」も人間という自然を犯している。

地と水と 人をわかちて 秋日澄む 飯田蛇笏