国政選挙が終わった。
結果はあの通りで、ガクッときた。
何でかというと、圧倒的な力を持った与党は、しようと思えばなんでもできる。
(「多数決」により、今後の政治のかじ取りは自民・維新に一任されたと受けとめられた。
与党の《しなければいいけど》暴走を防ぐため、対抗できるだけの野党を選ぶという、
バランス感覚が有権者には欲しかった。残念…)
気を取り直し、今日は続き(終り)の②です。
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「 ②〈 SNSに偶然はあるのか?〉
アルゴリズムは偶然性を排除する
(「SNSのアルゴリズム」とは、ネットのAIによる概要によると、
「SNSのアルゴリズムとは、膨大な投稿の中から、各ユーザーにとって最適なコンテンツを判断し
表示順序を決定する仕組みです。
ユーザーの興味や行動履歴に基づいてコンテンツをパーソナライズし、エンゲージメント
(いいね、コメント、シェア、保存など)の向上…を目指しています」
ここで著 者はベルグソンの「未来の予見不可能性と創造的な進化」ということを述べます。
どういうことかと言うと、人生の「未来の予見」は「不可能」だからこそ、「創造的」に生きる、
「進化」するよう生きるべきだと説く。
生きておれば「偶然」により何が起こるかわからないから、《創造的な進化》とは、
「偶然性を前提にじなければ説明できない現象が、この世界にはある」)
明日の「私」はわからない…
(なのに)SNSのアルゴリズムは「私」を固定的に捉える。「変化」を否定…
(私という「個人」を「個人」として私の「一回一回の体験」を「一回一回の」還らぬその時、
その場限りの「体験」をそれとして捉えることはなく、再生・再現可能なものにする。
同じような音楽を聴いていても、私には、その一回一回の体験は、それぞれちがっているはず)」

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②〈 SNSに偶然はあるのか?
これも本当に大事なことが述べられていた。
日々のふつうの生活の中でも、私はよく「偶然」ということを感じ、思う。
(記事でもよく書いているように、突きつめれば人生そのものが「偶然」だと思っています。
こうしてブログを書いていることもまぎれもなく私の人生の一部。「偶然」。
それを読んでくださるみなさんとの出会い《リアルではなくても》自体もまったくの「偶然」。
しかし、「SNSのアルゴリズムは「私」を固定的に捉える。「変化」を否定…」といわれる。
つまり、「SNSのアルゴリズム」は、私という個人の「偶然」はないし、したがって「創造的」でもない。
なぜなら、そのSNSを利用している私はアルゴリズムによって、好みや関心など、総じて傾向がわかる
とされ、「あなたの好きな、興味関心のある○○があります。いかがですか?」とお節介を焼かれる。
アルゴリズムに任せれば「偶然」の出る幕はなくなり、「失敗」する危険性は減るかもしれないが、
自分の人生を「創造的」にする、「創造的」に生きているという満足感は得られない)

思い通りにはならない人生に「諦める」、「偶然」に身を任せるという、という
諦観の一種、「運命論」的な生き方でなく、
「偶然」を「明らめる」と、それは人生に不可避なものだとわかるので、
それとうまく付き合うことが大事じゃないかと思う。
「うまく付き合う」には「偶然」を楽しむ、面白がる(そのためにほどほどのゲーム、
パチンコなどほどほどのギャンブルも)のもアリだけど、
(そういう努力、ガンバった思い出のない私が言うのもなんだけど)自分の目標に向かって
努力する、ガンバるのが必要なときもあり、
それが「失敗」という結果に終わっても、「成功」という結果が出なくても、
その結果は「偶然」、ウンが悪かった(たとえ「成功」しても「ウンがよかった」)と
自分に「納得」できることだと思う。

薄氷 そつくり持って行く 子かな 千葉晧史