カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2026.2.10 SNSに偶然はあるのか?

 国政選挙が終わった。

 結果はあの通りで、ガクッときた。

 

 何でかというと、圧倒的な力を持った与党は、しようと思えばなんでもできる。

(「多数決」により、今後の政治のかじ取りは自民・維新に一任されたと受けとめられた。

与党の《しなければいいけど》暴走を防ぐため、対抗できるだけの野党を選ぶという、

バランス感覚が有権者には欲しかった。残念…)

 

 気を取り直し、今日は続き(終り)の②です。

 

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「 ②〈 SNS偶然はあるのか?

 

アルゴリズム偶然性を排除する

SNSアルゴリズムとは、ネットのAIによる概要によると、

SNSアルゴリズムとは、膨大な投稿の中から、各ユーザーにとって最適なコンテンツを判断し

表示順序を決定する仕組みです。

ユーザーの興味や行動履歴に基づいてコンテンツをパーソナライズし、エンゲージメント

いいね、コメント、シェア、保存など)の向上…を目指しています

 

ここで著 者はベルグソン未来の予見不可能性創造的な進化」ということを述べます。

どういうことかと言うと、人生の「未来の予見」は「不可能」だからこそ、創造的」に生きる、

進化」するよう生きるべきだと説く。

 

生きておれば「偶然」により何が起こるかわからないから、創造的な進化》とは、

偶然性を前提にじなければ説明できない現象が、この世界にはある」)

 

明日の「私」はわからない…

(なのに)SNSアルゴリズムは「私」を固定的に捉える。「変化」を否定…

 

(私という「個人」を「個人」として私の一回一回の体験一回一回の還らぬその時、

その場限りの「体験をそれとして捉えることはなく、再生・再現可能なものにする。

同じような音楽を聴いていても、私には、その一回一回の体験は、それぞれちがっているはず)

 

    


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 ②〈 SNS偶然はあるのか?

 

 これも本当に大事なことが述べられていた。

 

 日々のふつうの生活の中でも、私はよく「偶然」ということを感じ、思う。

 

(記事でもよく書いているように、突きつめれば人生そのものが「偶然」だと思っています。

こうしてブログを書いていることもまぎれもなく私の人生の一部。偶然」。

それを読んでくださるみなさんとの出会い《リアルではなくても》自体もまったくの偶然

 

しかし、「SNSアルゴリズムは「私」を固定的に捉える。「変化」を否定…」といわれる。

 

つまり、SNSアルゴリズム」は、私という個人偶然」はないし、したがって創造的」でもない。

なぜなら、そのSNSを利用している私はアルゴリズムによって、好みや関心など総じて傾向わかる

とされ、「あなたの好きな、興味関心のある○○があります。いかがですか?」とお節介を焼かれる。

アルゴリズムに任せれば偶然」の出る幕はなくなり、失敗」する危険性は減るかもしれないが、

自分の人生を創造的」にする、創造的」に生きているという満足感は得られない

 

       


思い通りにはならない人生に「諦める」、
偶然」に身を任せるという、という

諦観の一種、「運命論」的な生き方でなく、

偶然」を「明らめる」と、それは人生に不可避なものだとわかるので、

それとうまく付き合うことが大事じゃないかと思う。

 

うまく付き合う」には偶然」を楽しむ、面白がる(そのためにほどほどのゲーム、

パチンコなどほどほどのギャンブルも)のもアリだけど、

(そういう努力、ガンバった思い出のない私が言うのもなんだけど)自分の目標に向かって

努力する、ガンバるのが必要なときもあり、

それが「失敗」という結果に終わっても、「成功」という結果が出なくても、

その結果は偶然」、ウンが悪かった(たとえ「成功」しても「ウンがよかった」)

自分に「納得」できることだと思う。

 

 

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                         ちりとてちん

薄氷 そつくり持って行く 子かな  千葉晧史

 

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