カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2018.1.31『日本辺境論』③ ブリコルール

                                                  カメキチの目

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「ブリコルール」。

「ブリコラージュ」というものを初めて耳にしたのはいつであったか覚えていませんが、昔、小さな子どもを相手にちぎり絵やがらくた細工をやったことあります。

いま思えば、あれもブリコラージュ(定義どおりではなくてもその一変種)だったのかもしれません。

  

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こでは、「ブリコルール」という言葉、概念の正確さにはこだわらず使います。

「そのモノゴトが、拾ったものか出あったかものか奪ったものはかわからないが、ともかく手に入れたものは、(いまは役にたたなくても)いつか役だつかもしれないので、とって(たくわえて)おく。必要になったら、その在りあわせでモノゴトを器用に(創意工夫し)作ること」またそういう人と、勝手に自己解釈しときます。

子ども相手の仕事をしていたとき、近くの住宅建築現場に出た木材の端きれを大工さんにことわって(おられないときは悪いとは思いながらも黙って持ってきたーそれを「盗む」というのかーこともある)もらい、せっせとため、工作材料にしたり何かの修理素材にし、不器用ながらも手作りした。思えば、これも広い意味では「ブリコルール」の一種?

 

 私たちの日本列島はアジアの東の端っこにあり、(よくいわれるように)弓なりに南北にのびている。

 よくよく見れば偶然、たまたまとはいえ、微妙なぐあいに位置し、変化にとんだ列島に形づくられている。

 そんな地理的な特徴は、太陽の恩恵を「四季」ということで受け(さしずめこっちは時間的な特徴)、山の幸・海の幸だけでなく風光明媚な景色という豊かな自然の恵みを与えられている。

 

 このことが、日本のさまざまな「ブリコルール」の生みの親みたいなものだったのではないかと思った。

もちろん現代文明は、地球は一つの方向で(グローバリゼーション)進んでいるから多様な地域の文化、ブリコルールは失われつつあります。

 

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 日本人は器用である。モノ作りは精巧、日本製品はすばらしい!(この前、世界に名だたる日本の大企業の製品ゴマカシ、不正が発覚しましたが)と賞賛される技術だけでなく、

ときには「日本人はマネるのがうまい」と嘲笑されることもあります。でも確かに真面目・誠実で、手先は器用なのでしょう。だから、資源は乏しくても、技術・技能で勝負。原料に何倍もの価値を加え、すなわち加工し、輸入より輸出が多い「貿易立国」になった。

文化・芸術などの精神面でも。

「武道」「茶道」…などの「道」はもとより、先述の日本古来の「神道」と大陸伝来の「仏教」が日本的な形でくっついた「日本仏教」、(暴力とは対極の)相撲、短歌・俳句、能・歌舞伎…

日本人独特の感性。感じ方。心や精神の在りよう。

 

 たとえば「神道」。

 生命あるものだけでなく、多くの自然物や自然事象にまで霊魂があるとみる、それが宿るとするアニミズム信仰。素朴な自然信仰

 神道がどういうものかはよくは知らないけれど、一方にはアマテラスオオミカミどうのこうのといった国造り神話、いったんできた国の安泰を願う祈りの心とともに、もう一方には上のような自然崇拝もある。

 神道は初めの始めは、神道」といえるような体系だったものではなくて、身近な山とか森とか石への素朴な人間の願いが祈りとなった行為(祈祷など)から出発したのではなかろうか。人々が生きることは自然と一体だったから(草木があって、動物がいて、川が流れ、土から米が育ち、火をつかうようになった)自然を拝むことは自然だったのだろう。

 

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「与えられた(ということは「選択」できない)」ことをしっかりと(ていねいに)受けとめ、そこに自分の手(創意工夫)を加え、自分だけのものをつくり出していく(個人的には「わが人生」)

 

たまたま日本列島に生まれたはるか遠い先祖たちは、与えられた条件のなかで、さまざまな創意工夫をこらして生き抜いてきたのだろう(はるかな昔の先祖のことが心に引っかかるようになったのは老いてから)。

「ブリコルール」から、ずっと前に記事にしたことがある(2017.5.7ころ)茂木健一郎さんという脳科学者の「偶有性」の考えを連想しました(自分はひょっとして国内の、また別な国の誰々さんで「あったかもしれない」と想像してみること)。

 

        

                  ちりとてちん

 

 

 

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