カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2026.4.21 目の見えない人は世界をどう見ているのか(最後)

 今日は最後、言葉 他人の目で見る〉です。

  

 この本で、視覚障害者、「目の見えない」人にとって、

言葉」は「命綱」ということを痛感した。

 

 視覚に障害があると、とくに全盲だと生きること自体が、

他人の助け(支援)抜きではあり得ない。

 他人との意思疎通は絶対に必要だ。

」は生きるために不可欠なツール)

 

目の見える」人にとっては、言葉」は空気のようなもの。

 とくに意識しない限り、その大切さと、同時に危険でもあることに

気づくことは難しい。

(荷が危険かといえば信じて「ダマされること」「詐欺に遭うこと」。

現代ではカネに取り憑かれた詐欺師、権力や名声に取り憑かれた政治家たち言葉」を巧みに

善意の人々をダマす。

善意の人々をダマす」という点では詐欺師と同類。

《特定の個人をダマすのではなく、多くの不特定国民を欺く点では詐欺師に勝っている》

 

そんな特別なことではなく、多くの人が利用しているネットやSNSの世界にも落とし穴が

いっぱい。

ネットやSNSの言葉をすなおに信じてはいけない。

《私事ではこのはてなブログでも被害に遭った。はてなを開いていて見ているとき、

画面の横とか下に表示された広告を、ちょっと見てみようとクリックしたら、途端にウィルス感染の

警告画面になった。うるさいし、あわててパソコンの電源を切った》

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目の見えない」人が目の見える」人の助け言葉での語り)をかりて、

美術鑑賞をする「ソーシャル・ビュー」という活動。

 それが、今日の具体的な話です。

 

    


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言葉 他人の目で見る

武器は言葉だけ

あるとき白鳥さんという「目の見えない人が、全盲でも美術鑑賞ができるんじゃないか

と思ったという話をきっかけに、「ソーシャル・ビュー」という活動が始まった。

目の見える人」が美術館の作品を、「目の見えない人が味わえる、鑑賞できるよう

言葉を選んで説明するボランティア活動だ

 

ソーシャル・ビューの面白さ

(その美術作品の「情報」ではなく)「意味」の部分を共有することにあります。…

ソーシャル・ビュー活動のボランティアさんの)自分なりの「意味」を出し合って

みんなで共有する…

(美術の教科書には、その作品の)「情報」の説明があるだけ。それに対して、

目の見える人」が案内して言葉にする、とえば)「湖っぽい野原」というのは

見た人の経験に根ざした「意味」です。

新しい美術鑑賞

ソーシャル・ビューは、目の見える人」が「目の見えない人を案内しながら、

その作品鑑賞で感じたことを言葉して伝えるのだから)

いったいどんな意味に、どんな解釈に到達することができるのか、解釈には正解はありません。

目的地正解目指すのではなく、探し求める

客観的な姿かたち(つまり「情報」)ではなく経験を共有することを目指した

鑑賞するとは、自分で作品を作り直すこと

「みんなそれぞれ、頭の中で作品を作っているんですね」…

作品を見てそれを意味づけようとすると、結局自分なりに作品を作り直すことになる

他人の目で物を見る

言葉を介して、他人の見方を自分のものにすることができる。…

ソーシャル・ビューとは、この「他人の目で物を見る」経験としての鑑賞の魅力を、

最大限に引き出すやり方

見える人も盲目だ

ある意味で、見える人も盲目であることを、白鳥さんは知った。

障害が、「見るとは何か」を問い直し、その気づきが人びとの関係を揺り動かしたのです。

福祉とは違う、「面白い」をベースとした障害との付き合い方のヒントが、ここにはある

 

    


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 私は「ソーシャル・ビュー」というものを初めて知ったけれど、

ほんとうにすばらしいと思った。

 

● 「他人の目で見る

 

● 「客観的な姿かたちつまり情報」)ではなく

経験を共有することを目指した

 

● 「鑑賞するとは、自分で作品を作り直すこと

 

● 「見える人も盲目だ

ーー

 私は美術、芸術、よくいう)アートというものがよくわからないので

目の見える」者にも、ソーシャル・ビュー的なものがあればよいと思った。

(美術、芸術の鑑賞は「わかろうとする」のではなく「感じる」のが大切だといわれるけど、

感性が鈍いのか、私はなかなか「感じた!」とはならない)

 

 「他人の目で見る」ということは、情報」ではなく

意味」「経験」を「共有」すること、つまり美術館で目の見える」人が

目の見えない」人を案内しながら、作品への自分の鑑賞、印象意味」)

言葉にして伝えることを通し、それ(美術鑑賞という「経験」)共有すること。

 

 そこからわかるのは「鑑賞するとは、自分で作品を作り直すこと」であり、

見える/見えない」を超え、見える人も盲目だ」ということになってしまう。

 

 引用最後の「福祉とは違う、「面白い」をベースとした障害との付き合い方の

ヒントが、ここにはある」がすごく納得できた。

 

 

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                         ちりとてちん

春風や 浅田の小波 浅緑  曉台

 

 

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