カメキチの目
先月、会議がありました。
「会議」といういかにも娑婆らしいものから遠ざかって幾年になります。それが
4時間 かかり、
ビックリ!
(住宅管理組合の理事に輪番制でなった。障害があっても毎月の会議に出るだけでいい、あんたでも大丈夫というので引き受けた)
それは9月の定例第2回目だった。「魔の4時間」になろうとは予想だにしなかった。
「会議に4時間…」がおかしいのか?、それとも「会議に4時間も…」と首をかしげる私のほうがおかしいのでしょうか?
で、次のようなことを思ったのでした。
■ 会議の中身(議題や審議・進行具合など)
議題の重要度によってかかる時間が変わるのはわかります。しかし、長くても〇時間という上限の設定は必要ではないでしょうか(多くの人は約2時間の「集中」が生理的な限度《車の運転だけでなく》なのではないだろうか)。
・議案が複雑で時間内に終わらない(結論が出ない)ようなら継続審議にするか、組合員全部の考え、意向をきけばいいと思いました。
・会議の進行はやはり議長(だいたいは理事長)の力量が大きいと思いました。
これは私のところの実態(といってもまだ臨時《先の台風被害が議題》をふくめて3回だけの出席)ですが、議長さんの進行のいいところは出席者の意見をなるべく聞き、決議に反映させようとされるのです(国会も見習ってほしいぐらい)。
「このために時間が長くなるのだからしかたないかあ…」とは思うけれど、案件によっては(たとえば嗜好の問題など)早くすませるものもあると思いました。
■ 自分の経験の狭さ
私の勤めていたは職場は小さかったけれど、仕事がら会議はよくありました。その会議しか経験がないので(「井の中の蛙」)、大きな職場や社会的(また公的)な場の会議はあまり経験がありません。
それでわからないのですが、一般的には4時間は「長い」わけではないのでしょうか。
(理事会は30名前後の理事のみなさんが出席されていましたが、4時間のそれが終了しても誰ひとり「長かったなあ(ブツブツ…)」顔の方はいませんでした《心の中で「まいった、まいった…》と叫んでいた私以外は)。
■ その他
・私たちの理事会は休憩時間がありません(4時間ぶっとおし)。1回目の8月は3時間半だったけれど、そのときもぶっとおしだったし、そのかん誰ひとりとしてトイレに立たなかったのが私としてはフシギでした。
1回目の8月は初めてだったので事前に私は水分を摂らないようにしました(障害者になってトイレに近くなり老いてまた近くなった)。ツレは途中で行きたくなったら行けばいいと言いますが(こっちとしては会議机に手を突いてパイプ椅子から立ちあがる辛さとのろい動作をみなの前で見せるのはイヤなので可能な限り避けたい)。
・眼振があり焦点が合わないので気分が悪くあらぬ方向に顔を向けたり回わしたり、(よく欠伸が出るので不謹慎と思われないために)口を掌でおおったり…。ともかく落ち着かない人だなあと思われているに違いない。
発言したいのだが、どもったり、息の調整がうまくいかず、しっかりしゃべられないのでしない。胸にためる。
やっぱり、卑怯と思われても理事にならなければよかったと、いまになって後悔している。トホホ…